山形県の鶴岡のRと申します。この度は刀剣業者専門の交換会(オークション)に私の祖父が収集した刀剣を出品してくださってありがとうございました。私の家は代々にわたって山形県の鶴岡で商人をしておりまして、昔から家には江戸時代からのものと思われる刀や、祖父が骨董の趣味で集めたものが幾つかありました。祖父が亡くなってしばらく経ち、手入れができる者もおらずに錆させてしまっては申し訳ないという思いから、今回、品物を手放すことを決心しました。ちょうど、春先にオークションの大会があったそうですがそちらに出品してもらい、初めにお見積もりして下さった落札予想価格よりも金額が上回って安堵いたしました。
荘内は荘内ともいい、大泉荘内の略で、羽前の田川郡、羽後の飽海郡の総称になります。源義経が奥州落ちのさい通った大泉荘大梵寺とは、大宝寺の訛りで、慶長年間に最上義光がここを領していたとき、鶴岡と改称しました。しかし、元和8年(1622)、酒井忠勝が鶴岡城主となった後も普通は荘内藩と呼ばれていました。
刀工としては、幕末の斎藤清人と池田一秀が荘内からでました。両人とも銘に「大泉住」と切ったものがあります。金工としては、まず大泉正阿弥として知られた伝兵衛重吉、ついで土屋安親が江戸へ出て、「奈良三作」の一人として、天下に名をあげたあと、船田一琴や桂野赤文が現れて、荘内金工之名を高めました。

山形県の出羽国といいます。奥羽地方の日本海側に、和銅5年(712)に建てられたました。「延喜式」には、置賜郡・田川郡・出羽郡・最上郡・村山郡・飽海郡(以上山形県)、雄勝郡・平鹿郡・山本郡・河辺郡・秋田郡(以上秋田県)など、十一郡をあげています。明治元年、出羽国を二分して、置賜・田川・出羽・最上・村山など、五郡の地を羽前国、飽海以下六郡の地を羽後国と名づけました。したがって刀銘には「羽前国」「羽後国」と切ったものは、ほとんど見受けません。たいてい「出羽」か「羽州」かです。
源氏の重宝:髭切の太刀を作った文寿または元寿は、置賜郡広瀬村大字上小管(米沢市)、とする説もありますが、文寿または元寿は陸奥の住人とするのが通説です。それはさておき、出羽刀の名を独占しているのは、平安末期の鬼王丸を祖とする月山鍛冶です。新々刀期になると、新々刀期の幕を開いた水心子正秀、その高弟の大慶直胤のほか、長運斎綱俊がともに置賜郡の出身、斎藤清人や池田一秀は飽海郡の出身でした。
装剣具では、庄内正阿弥と秋田正阿弥の名をあげられます。特に前者の鶴岡城下からは、土屋安親という名人のほか、遊楽斎赤文などが著名です。後者は正阿弥伝兵衛を流祖として、古正阿弥の伝統をよく保持しました。

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