秋田県のSと申します。つるぎの屋の社長さんの冥賀さんには長年にわたりお付き合いをさせていただいて、秋田県の郷土刀が出るとご連絡をくださり何振かを愛刀として所蔵しておりました。古いものになると30~40年も手許にあったものもあり、なかなか手放す気はなかったのですが私も近年は寄る年の波には逆らえず、特に長寸な新々刀などは少し重たく感じられるようになってきまして。剣友もみな同様に歳をとり近隣で郷土刀を所有してうれそうな人もおりませんので、手入れもしっかりすることができるうちに、愛刀を錆させないように少しずつ手放していこうかと相談をいたしました。冥賀さんも私が所蔵していた刀を覚えてくれていたようで、随分と昔の話であったのですが逆に古いことの方が記憶が鮮明であるそうなどとうかがいました。つるぎの屋さんの他に地元や東京の他店で購入したものもありましたが買取をお願いすることにしました。

秋田における蔵刀のうち、史的関連性の強いものは、やはり佐竹藩主の蔵刀でありましょう。佐竹家の祖先は源義家の弟新羅三郎義光の末裔で水戸に城を構えてから500年も栄え五十四万石の大名であったが関ヶ原の戦いの後、豊臣家に加担したと言うので国替えとなって二十万五千石で秋田へ封ぜられました。現在の千秋公園が久保田城跡となって居りますが、日本築城史にも記録されている通り、徳川幕府に対して恭順の意を表するために石垣のない城を後世に残したともいわれ数々の伝説を残した城としても有名であります。
佐竹家の明和年間の記録によれば、名刀270本が貯蔵のため油かめにつけておいたと伝えられて居ります。戦力用としては美濃物の古刀が多く約700本が武器蔵に貯蔵されていたとも言います。
この佐竹家の歴史を秘めた伝家の宝刀が、当時の藩主からの拝領の品も含めて一部は秋田市の素封家である辻家に秘蔵されて居りましたがために散逸することもなく今日に至って居りますが、当時の大名に対する商家の律儀な節度が窺えるうるわしい話と存じます。そして又これら蔵刀にまつわる因縁話が時として私たち愛刀家の心を捕らえて離さないのも、秋田と言う温順な気風を作りあげた佐竹家の士風の影響によるものとして床しい事だと思います。佐竹家の宝刀とては「八文字長義」と「野狐丸友成」が特に有名でエピソードをもっています。

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