陸奥守忠吉は、二代近江大掾忠広の嫡子で新三郎といいます。万治三年には陸奥大掾を受領し、寛文元年に陸奥守へと転じました。生まれは寛永十八年。貞享三年には父に先だち五十歳で没しています。

祖父の初銘である「忠吉」を継いだだけでなく、その作風も父ではなく祖父に似ています。豪壮な姿、地がねのよさ、刃文の冴えをはじめ、初代を思わせる特徴をいくつも確認できます。銘も祖父同様、「肥前国忠吉」と五字に切るものが見られ、鑑別で見分けるのが困難です。さらに陸奥守忠吉には、父近江との合作も数口現存します。三代に限らず、肥前刀は一般に年紀のあるものが多くありません。そのため肥前刀の研究は難しいといわれます。

 

忠吉の作品の中には乱刃もあり、独特の互の目丁子のような刃文を焼く素晴らしいものも見られますが、ごく少数です。ほとんどが直刃の作となります。

特にこの「刀 銘 肥前国(國)陸奥守忠吉」は、彼が得意とする直刃を焼き、最高の出来を示した作品です。長さはおよそ75.1cm(二尺四寸八分強)、反りはおよそ1.9cm(六分五厘)。鎬造で庵棟、反りはやや高く、中鋒は延びごころとなり、堂々たる打刀姿です。鍛は小板目、肌よくつみ、地沸は細かに厚く、地がねは明るく冴えています。

刃文は中直刃で、匂口が冴え、小沸が叢なくよくついています。帽子は直ぐに小丸、茎は生ぶで、先は栗尻、鑢目は切り、わずかに勝手上がり。目釘孔は1つで、指裏棟寄りに長銘が切られています。

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