謙信助宗(けんしんすけむね)

  • 指定:重要文化財
  • 太刀 銘 助宗
  • 松岬神社 蔵
  • 2尺5寸6分弱(77.5cm)
  • 1寸(3.03cm)

 

謙信助宗は上杉景勝公の佩刀にして上杉家に伝わったもので、大正12年8月、松岬神社に上杉景勝公が合祀された時に、上杉家15代当主:上杉憲章氏より寄贈されたものである。

「上杉家刀剣台帳」
坤九十三号 銘文等:太刀 助宗(一文字) 号銘等:両面棒樋 刃長:二尺五寸六分 外装:革柄革包太刀拵 景勝公御手選:(無し)
指定月日等:重要美術品 革柄革包太刀拵付 昭和二年四月二十五日、重要文化財 革柄革包太刀拵付 昭和二十四年五月三十日 備考:大正十二年四月三十日、景勝公、松岬神社合祀記念トシテ、松岬神社へ奉納

坤第九拾参号(印)
(欄外)「大正十二年四月三十日、景勝公松岬神社へ合祀紀念トシテ松岬神社へ奉納」
一 助宗太刀
銘 助宗
長 弐尺五寸六分 両面棒樋
拵 塗鮫藍革巻冑金縁赤銅竹雀模様毛彫目貫赤銅松葉鍔赤銅木瓜三枚竹雀模様毛彫切羽六枚赤銅鞘黒革縫包鞘巻紺糸帯取胴金鐏共赤銅竹雀彫物袋鼠緞子
(欄外)「鎺ノ鯉口ナシ」
御由緒

形状は、鎬造、丸棟、細身、元幅に比して先幅狭まり、腰反り高く踏張りつき、小鋒の気品ある太刀姿である。鍛えは、小板目肌総じて約み、地沸微塵につき、淡く映り立ち、指表に暗帯が見て取れる。刃文は、直刃調に小乱れ・小丁子・小互の目交じり、丁子足よく入り、葉かかり、小沸出来で、匂口明るく、僅かに砂流し・金筋かかり、先の方染みる。帽子の焼刃ぬける。表裏に棒樋を茎中程で掻き流す。茎は生ぶ、先浅い栗尻、茎棟丸く、鑢目浅い勝手下がり、目釘孔一。

附帯する革包太刀拵は、柄は黒漆塗りの鮫皮を着せた上で藍韋を巻いて、鞘は黒漆を塗った皺革で包み、渡巻を柄と同じく藍韋巻としている。金具は竹雀文を赤銅磨地に毛彫している。鐔は銅の木瓜形、覆輪及び大切羽は赤銅磨地に竹雀文を毛彫している。

一文字助宗は、福岡一文字派の事実上の始祖とされる則宗の子で、助則の父と伝え、弟に成宗がおり、父同様に後鳥羽院鍛冶にかぞえられ、古来より大一文字と呼称される。則宗・助宗・成宗ら鎌倉初期の福岡一文字派の鍛冶をとくに古一文字と称しているが、彼らに見る作風は概して前時代の古備前物の踏襲の窺えるものが多い。
作風は、細身の太刀姿で優美にして気品高く、焼刃は広狭が少なくほぼ直ぐ調に小乱れと小丁子・小互の目を交えてよく沸づき、刃中足よく入り、肌合は細かに鍛えられて地沸を微塵に敷き地斑映りが立つなど、父:則宗に類似の古香な出来口であるが、相対的な技倆の面では父に一歩譲る感があり、刃文の働きも父ほど豊富でない。しかしながら弟:成宗に比しては作位および品格ともにやや優っている。
なお、助宗は古来、大一文字と呼称され、華やかな大丁子乱れを得意としていたかのように伝えるが、現に大振りに助宗と二字銘に切り、体配も幅広く華やかな丁子乱れを見せ、明らかに古一文字のそれとは別人で鎌倉中期の一文字派の刀工の作が存在していることからして、可能性としてある時代にこれらが古一文字に混同されて大一文字の称号が生まれたことが考えられる。

(参考文献:日本刀大百科事典より転載・引用・抜粋)

(法量)
長さ 2尺5寸6分弱(77.5cm)
反り 1寸(3.03cm)
元幅 9分(2.75cm)
先幅 5分3厘(1.6cm)
元重ね 2分1厘(0.65cm)
先重ね 1分弱(0.3cm)
鋒長さ 6分6厘(2.0cm)
茎長さ 6分1厘(18.5cm)
茎反り 1分弱(0.3cm)

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