島根県に在住するKです。今回は我が家の蔵から出てきた刀をつるぎの屋さんにお願いすることになりました。なにぶん戦前に蔵に仕舞い込んだ刀であったようで江戸時代のものから昭和期軍刀まで様々なものがありましたが、ご教授いただいたとおりにまずは地元警察署に連絡して、その後に島根県教育委員会で無事に銃砲刀剣類登録証を取得することができました。登録完了後には刀剣ケースを送っていただいて、なかに梱包して返送するだけであって大変スムーズに事が運びました。査定金額も錆が出てしまっているものが多かったにも拘わらずに想像以上で満足しています。

島根県の旧国名は出雲国、石見国、隠岐国といいます。
出雲国は、山陰道の一国で、今の島根県東部になります。天叢雲剣の発祥地で、「延喜式」によれば、毎年横刀10振を貢納する定めになっていました。出雲は鉄の産地でありながら、刀工はあまり育ちませんでした。吉野期になって隣国から、吉井鍛冶が移住してきました。出雲道永とよばれる一群がそれです。そのほか室町期にくだっても、仁多郡住忠貞派がわずかに存在を認められているに過ぎません。新刀期に大明京という珍しい鍛冶がおり、新々刀期になって、高橋長信がその名をあげました。鐔工としては、江戸期に小林・春田・谷など、三系統がありました。
出雲産の鉄は出雲鉄とよばれ、「出雲国風土記」にすでに、三処・布勢・三津・横田などの四郷から、堅い鉄を出すことが見えています。つぎに出雲鉄で打った刀の肌は荒いとも、また性質が強剛で、大和・山城の鍛冶がよく用いました。よく沸えて棟鉄が強く、湯走りが現れるといいます。
出雲鐔は、出雲で作られた鐔で、これには小林・春田・谷の三系統があります。小林派がもっとも古く、元禄ころ、小林清明の出現をもって始まり、清方・清延・清重・政清・芸重などと幕末に至っています。
つぎは甲冑師の春田派で、江戸中期の春田毎幹から始まり、毎矩・毎政・毎永・毎功・雅智などを出しています。
最後に発生したのが谷派で、初代:谷豊親が明和ころ、以下、豊重ー豊光ー豊次ー豊秀と続き、六代:豊鷹で終わっています。二代:豊重が尾崎直政に師事し、松江城下に新風をもたらしたので、谷派が出雲鐔の代表視されるに至りました。
石見国は山陰道の一国で、今の島根県の西部になります。「延喜式」によれば、毎年横刀5振を貢納することになっていました。この数は出雲や伯耆の半分に過ぎません。これは石見の製鉄が遅れて始まったことを示すものであります。刀工の出現も遅れていて、石州の代表工:出羽住直綱は、建武になって、ようやく顔を出しています。直綱およびその一派は、かなり繁栄してはいたが、著名刀工は出ませんでした。そのほか南北朝期に、高津(益田市)住守利らの一派が台頭しましたが、これは直綱派ほどの勢力はありませんでした。室町期になると、直綱の末流:祥末らが、長浜(浜田市)で実用刀を打っています。
鐔工として、大森銀山(大田市)の栃畑にいた工具鍛冶が、副業として鐔を造ったので、栃畑鐔または銀山鐔と呼ばれています。しかし、製鉄業が盛んで、いわゆる出羽鋼を全国の刀工に供給した功績は大きいものがありました。
石見金は、石見金・石見鉄ともいい、石見国産の鉄のことで、これで作った刀の肌は荒い、ともいいます。
隠岐国は山陰道の一国で、島根県の北方約75キロの洋上に浮かぶ群島です。「延喜式」には、横刀4振りを毎年貢納するよう定められていますから、古くから刀工はいたことになりますが、その名の伝わるものはありません。

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